2005.2.28 スキーヤー 浦木健太
とは2年間くらいナショナルチームのメンバーとして、一緒にアメリカ、ヨーロッパを転戦した。歳が離れていたのもあり、特別仲が良かったわけでもなかったのだが、最初の遠征での彼の印象は鮮明に残っている。
場所はアメリカ、マンモスマウンテン、そこのスキー場には、スキーヤー、スノーボーダーのためのパークがあり、でかいジャンプ台が設置されていた。もちろん俺とは無縁の場所だった。そこで明は、いとも簡単にバックフリップ(後方宙返り)をかまし、俺は「まあまあだな」なんて言っていたのだが、実はかなり驚いた。それは、今までのアルペンスキーヤーにはない、新しい生命体との出会いだった。彼の行動はそれだけに留まらず、合宿中の休みの日、みんなは疲れて「やっと今日はスキーしなくてもいいぜ〜」なんて思っている日も、一人でバスに乗りスキー場に滑り(飛び?)に行っていた。そして帰ってくると、スケボーにインラインと、とにかくアクティブだった。俺はいつしか、そんな明に興味を持ち、彼をからかうようになっていく。「あれ明さ、ちょっと臭いよ」と近づくたびに言うのがお決まりのセリフだった。そうこうしているうちに、俺もチームを離れたが、明との付き合いは今でも続いている。
んな明に授けたものがある、それは彼が今年からGSの時に腕に付けている黒いパッド。俺が高校生だった1990年くらいから使っていたものである。何年か前にあげたものだが、今シーズンが始まる前に家を整理していたら出てきたらしい。今シーズンのワールドカップ開幕戦ソルデンでのGS。俺は東京のスタジオで生放送の解説をしていた。日本人で唯一出場した明は、そのパッドを付け、GSでの2本目進出という快挙を達成した。
は戻るが、明に初めて会ったのは、1997年くらいのアメリカはコロラド州ブレッケンリッジだったと思う。俺も明もナショナルチームのメンバーとして来ていたのだが、俺はワールドカップチームとして、明はまだ16歳くらいでジュニアチームのメンバーとして来ていた。そこで一回だけ一緒にGSのトレーニングをしたのだが、調子の良かった俺は、一人で恐ろしく直線的なラインで攻めていた。ジュニアチームの回しこんでくるラインとは全然合わず、「こいつらのライン、甘いなあ」なんて思っていた記憶がある。後で聞いたのだが、そんな滑りをしていた俺のことを、明も含めたジュニアチームは、「暴走天使」と呼んでいたらしい。その呼び名、今の明にそのままお返ししたい。

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