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2006.1.16 渡部 康之
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2006.1.6 小田島賢連載コラム No.03
「1998年長野五輪」
話
は少しさかのぼってAKIRAの存在を初めて目の当たりにしたときのことを紹介したいと思う。
当時私はFIS男子ワールドカップディレクター(ワールドカップの全レースの最高責任者)、ギュンター・フヤラ氏の通訳として、長野五輪に携わらしてもらっていた。白馬のスピード系のレースは大雪や大風などの悪天候が重なりに重なって、毎日遅くまで雪上で作業をしてくれていたスタッフの方々には頭の下がる思いだった。何で日本のビックイベントの時はこんなに天候が悪くなってしまうのだろうと、1993年盛岡・雫石アルペンスキー世界選手権の時のことと重ねながら天を仰いだものだった。
で
も日本人の不屈の精神はこのようなときに力を発揮してくれて、欧米では絶対に中止だと思えるレースでも、コースを完璧に仕上げて何とかスピード系のレースを終了させ、舞台を技術系の志賀高原へと移行することが出来ていた。ただ技術系のほうがまだコース作りは楽かと思ったのもつかの間、天候は荒れ狂い、男子GSの前日には雪が1メートルも積もって、GSは1日遅れのレースを何とか成立させた。あと残るは男子SLレースだけというところまでこぎつけその当時16歳だったAKIRAは前走者として長野五輪に参加したメンバーの一人であった。
G
Sレースのときのこと、私がついていたギュンターが前走で滑るAKIRAをみて、、
「日本人にも勢いのあるジュニアがいたんだね。あの子は何歳なんだろう?」
と、背が高くて線の細いAKIRAを指して言った。私も正直初めて見た選手だったので、他のスタッフにたずねてみると、当時から速いと評判の北照高校2年の佐々木明と教えられた。非常に直線的なラインでコースアウトしそうになりながらも、身体をゴムのようにしならせて滑る、その姿は目に焼きついたものだった。SL当日、硬いバーンに苦戦すると予想されたレースは確かに参加選手をてこずらせた。でもそんな状況の中、そしてスキーをずらして滑ってくる前走のなかでAKIRAはひょうひょうと何事もないかのようにリラックスした感じで一人だけ雪面を切って滑っていた。レース前の緊張の中、ギュンターが
「あの子は面白くなりそうだ・・・。」
とぼそっとつぶやいた。
当
時のことを話す機会があり、そのときのことを当の本人は、
「俺がオリンピックに出れないなんて、
どうしてだよって、本気に思って滑っていた
。そのシーズンはすごく調子のいいシーズンで、日本人の中でも絶対速い自信があったし。でも五輪は前走だからコースはすごくきれいだし、何か気持ちいいなって。印象なんてそんなもんかな。」
ま
さに強心臓はこのころから、またはこれ以前からのものだったのだろう。あのような大舞台でしかも前走という普通のジュニア選手なら緊張で硬直してしまいそうなものだろうが、
すごく楽しんで滑っていた
と言えるところが、やはり当時から只者ではなかった。
<続く・・・>
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