2005.11.30 小田島賢連載コラム No.01 「162センチ」
れは2003年1月19日佐々木明がそれまでの悪い流れを払拭し、65番ゼッケンから日本人史上最高位2位を獲得したときに使用したスキーの長さである。
この162センチという長さはそのレースで出場したどの選手よりも長いスキーであったのは言うまでもない。その当時のFISルールではスラロームで選手が使用できるスキーの長さは155センチ以上と決められていて、そのレースまでの勝者が使用していたスキーの長さは全選手が155センチまたは156センチであったので、まさか162センチで、しかもそれまで一度も2本目に進出さえしたことのないアジアの無名選手の使用しているスキーの長さなど誰も気にもしていなかったのだ。
近、あの当時の時のことを振り返る瞬間が私の中であった。その年、私は個人的にそれまで10年以上も勤めていた会社を辞めて自分で会社を設立、サロモンと業務委託契約を結び、スノーボード以外の全スキーの種目(アルペン、フリースタイル、デモ)の選手対策を受け持ったのだった。2002年6月に会社を立ち上げ、最初の仕事はその当時日本アルペンチームのエースで、その3月に野沢温泉のFISジャパンシリースで靭帯断裂という大怪我を負い、リハビリ中の皆川賢太郎選手のサロモンスキー契約延長が私の最初の仕事だった。
速、私はフランス・アネシーのサロモン本社へ向かった。皆川選手を引き止めるためいいスキーをもらえるようにプライオリティを上げてもらうのが、私の使命だったのだ。エンジニアたちに会って現在の状況を説明し、今回の滞在中にいいスラロームスキーを複数の種類でもらっていけないと帰国もできないなという覚悟で交渉に入った。ジョン・マゾリとの出会いもこのときに生まれた。彼は小柄でヨーロッパ人に珍しく物静かで、レーシングスキーの世界では珍しく日本人の滑りに常に着目してくれていたのだ。
「ミ ナガワはすごくガッツのある選手、是非サロモンに残ってもらいたい。またその後に続くあの背の高くて細い選手もすごくいい物を持っていると思う。日本人がスラロームで常に上位に来ないのが不思議なぐらいだね。」
はその当時から身体の線は細いがゴムのようにしなやかで、まだまだワールドカップよりも下のカテゴリーで成績にムラがあった、AKIRAにその当時から注目してくれていたのだった。
<続く・・・>

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